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いうまでもなく、私はLOM粋主義者であり、LOMナショナリズムの信奉者である。むろん1年間にわたり、対内誌やこのコラムを通じて、この(かたよった?)思想をメンバーにプロパガンダするつもりは毛頭ない。私が伝えたいことは、私たちが所属する中津JCがいかにすばらしいLOMであるか、また、その中津JCに所属している私たちJayceeには、50年にもおよぶ輝かしい歴史と伝統を有するかわりに、いかに大きな責任を負っているかを、「中津JCのかたち」を紐解くことによって少しでも伝えることができればと思い、拙稿を自覚しながらも筆を執ることにした。 | |||
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中津JCの2003年度基本理念は、「輝き続ける“JC MIND”」である。この意味についての詳しい説明はここではさけるが、ひと言でいえば、「国家を思い、地域を愛し、お互いの友情と世界との連携を大切にする、“I Love JC”の精神」のことをいう。「JC HEART」や「JC SPIRIT」とせずに「JC MIND」としたのには、もちろんこだわりがある。自分なりの理解では、“heart”や“spirit”とは自分の意志でコントロールできない感情や心情、気分を意味する。一方、“mind”とは理性にもとづいた精神や知性を意味する単語である。 つまり、「JC MIND」とは、自分はこう思うだとか、今日はこんな感じだとかといった抽象的な気分ではなく、JC精神に則った私たちJayceeの明確な意志をあらわしているのである。しかも、“mind”とは磨くことによりさらに輝きを放ち、積極的な行動により成長するものであると信じている。 創立50周年を迎えた私たち中津JCのメンバーは、創始の時代から脈々と受け継がれてきたこの「JC MIND」をしっかりと継承し、さらに輝きを放つように、JCらしく行動していく義務と責任がある。その理由は、「私たちがJayceeであるから」としか答えようがない。 | |||
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ガラパゴス諸島は、太平洋東部の赤道直下にあるエクアドル領の島群で、エクアドルの西方約1050kmに位置している。この島々は、特異な動物が生息する進化論の島として名高い。1835年、イギリスの博物学者チャールズ・ダーウィンがビーグル号でおとずれ、6週間にわたって生物の調査をおこない、そのときのダーウィンの観察が、「種の起原」(1859年)をあらわす際に大きく役だっていることは周知のことである。ガラパゴス諸島は大陸から遠く離れていて、諸島海域の海流の激しさから他の種と交わることが少なかったために、独特の進化をこの島々の生物にもたらした。 私は、中津JCはガラパゴス諸島みたいなLOMだ、とつねづね感じている。他の一般的なLOMとは、明らかに違う進化をしているように思えてならない。中津JCは、もちろん離島のLOMではないし、他LOMとの交流を拒絶しているということも当然ない。しかし、気位の領域で、他LOMとは乖離(かいり)している。 例として、自分のLOMにたいする異常なまでのプライドの高さがあげられる。14年前、私が入会したときも、「中津JCは九州で7番目、全国で47番目に設立された」という枕詞を、キズの入ったレコードのように何度もきかされた。別に古いLOMだからといって、そのレヴェルが高いというわけでもないだろうが、今では私もすっかり洗脳されて、その信者のひとりになっている。 また、OBがとにかくうるさい(厳しい)。とはいっても、現役の事業やLOM活動にたいして容喙することは当然なく、JCとしてのスタンスや理事長(JCメンバー)としての心構えにたいして、愛情のこもった叱咤を浴びせてくる。2001年、鹿児島ブロック加世田JCの会頭訪問に出席したとき、加世田JCのOBが駐車場係と手作り懇親会の準備に汗を流していた。現役メンバー全員に会頭の講話をきかせたい、という親心である。その光景を見たとき、すばらしいOBと現役の関係を構築しているLOMだと思ったが、不思議と羨ましくはなかった。中津JCのOBは駐車場係を自らかってでることはないだろうし、また、現役のわれわれも絶対にそんな依頼をすることはない。それは、先輩にたいしてのリスペクトだし、現役のプライドでもある。 例をあげればきりがないので、この稿はこのあたりで筆を置くが、私は第50代理事長として、この愛すべき「ガラパゴス諸島的LOM」を、さらに独自の進化を遂げるLOMにしなければいけないと考えている。 | |||
「東条さん、あなたは万が一、助かって無期懲役になればよい、などとは思っていないでしょうね。それこそ生き恥です。どうせ、あなたは死刑を免れませんよ。私は、あなたの名誉のためにも死刑を望んでいます。歴史は、あなたの刑死を必ずや見直すことでしょう。ついては遺言を残してください。その内容はね…」 東京裁判の被告となった東条英機にたいして、こんなことをハッキリいった男がいた。笹川良一である。その渾身日本男児であった笹川良一氏は、「健全な肉体に、健全な精神が宿る」とつねづね語っていたそうである。LOMにとっての健全な肉体とは、毎月の例会に他ならない。2002年度大分ブロック協議会・野中俊秀会長は、JCが50年以上アクティヴに存在し続けたのは、毎月、例会を開催していたからだ、と断言しておられた。 中津JCの例会のすばらしさは、自他ともに認めるところである。では、すばらしい例会とは、いったいどういう例会のことをいうのだろうか。出席率・時間厳守・理事長挨拶・講話内容・司会者のMC・監事講評・運営の精度…、これらのファクターの重要性はいうまでもないが、それはあくまでも例会のひとつのパーツ(ピース)にしかすぎない。これらの要素を貫く、もしくは超えたもっと重要な何かが、中津JCのすばらしい例会を支えているような気がしてならないのである。 2001年、地区会長訪問が杵築JCの例会で開催され、私も出席をした。恥ずかしい話だが、杵築JCの例会を軽侮する気持ちが、当時の私のなかにあった。しかし、その例会にでて、杵築JCにたいする認識が一変した。前述した出席率や監事講評等のひとつひとつのファクターは、ハッキリいって中津JCの方が上回っていたと思うが、理屈ではなく、JCメンバーにしか感じることができない例会のなかの「気」−“JC MIND”といってもいい−が、会場いるほとんどのメンバーを席巻していた。諸富正徳専務理事(当時)の血走った目配りが鋭く、例会担当委員会や杵築JCの、その例会にかける意気込みがビシビシと伝わってきて、感動すらおぼえたのを今でも思いだす。 中津JCの例会は、すばらしい。このことは、わがLOMの誇りである。中津JCが49年間にわたり、もっとも多くの時間と予算、そして英知と労力をつぎ込み続けている、最大にして最高の継続事業が、例会なのである。 | ||||
少しばかり自慢話になる。私がLOMで広報渉外委員長を拝命したのは、1992年度第39代仲浩理事長のときである。その委員会の年間例会出席率は、97%を超えていた。要するに、1年間で2名しか欠席者がでなかった。その理由は、メンバーや委員会スタッフに恵まれたことはいうまでもないが、中津JC委員会運営マニュアルに負うところもかなりあったと思う。 当時、私は27歳かそこらの青二才で、どうやって委員会を運営していけばいいのか苦慮していた。担当の松本揚一専務理事に相談したところ、運営マニュアルどおりにやりなさい、とのことだった。そこで、私は最初の委員会でメンバーに宣言をした。委員会開催日は必ず深夜2時まで懇親会をするから、遅刻しても出席してください、というような内容だったと思う。また、欠席したメンバーには、翌日に委員会資料をもって会社訪問し、次回の出席をお願いした。その結果、委員会もほぼ100%出席で運営できた。 中津JC委員会運営マニュアルには、「委員会は、『人材を育てる肥えた畑』でなければならない」とある。すなわち、委員長をはじめ委員会スタッフの責務は重大である。また、「委員会が対外的にも内にあっても『役割と事業目的を明確に認識した、有機的で活力ある組織である』ということが、その存在理由であるといえる」ともある。まことに猛々しく、揚々としている。ぜひ、JC活動の基本である委員会運営をもう一度見直してもらいたい。 閑話休題…。 | ||||
教科書ふうになるが、晋州(チンジュ)市は、大韓民国の南部、慶尚(キョンサン)南道の人口35万人の都市で、洛東江(ナクトンガン)支流の南江(ナムガン)にのぞむ道西部の行政中心地である。豊臣秀吉による精神病的自己肥大としかいいようのない朝鮮出兵(文禄の役)、韓国でいうところの壬辰倭乱(じんしんわらん)のさなか、1593年に加藤清正ひきいる12万の日本軍に対し、朝鮮側の6万人が晋州城に籠城し全滅した悲劇的な古戦場として知られている。晋州城陥落のあと、彼の地に駐屯したのが豊前中津藩主であった黒田長政の部隊で、晋州総督とでもいうべき占領将校は、耶馬渓出身の侍大将・毛谷村六助(けやむらろくすけ)だった。 晋州市の精神的象徴は、「義岩(ウィナム)」と「義妓祠(ウィギザ)」である。「義岩」は見た目には何の変哲もない川べりの岩だが、1593年に晋州城が陥落し日本軍が祝宴を催したとき、宴のために集められた官妓の朱論介(ジュ・ノンゲ)の護国忠節の舞台となった場所である。宴のとき、着飾って舞った論介は、泥酔した日本の侍大将・毛谷村六助を矗石楼(チョクソンヌ)の下の岩場に誘いだし、六助に抱きつくとそのまま岩下の南江の流れに身を投じ、自らの命と引き替えに六助を死に至らしめた。その岩が現在「義岩」の名で残っており、この妓生(キーセン)の忠節の話は、韓国のだれもが知っている。矗石楼の隣に、論介の義挙をたたえた祠がある。それが「義妓祠」である。 このような歴史的背景の都市だから、1900年代初頭からの理不尽な韓国併合(韓国では国権強奪とよぶ)や、戦後の李承晩(イ・スンマン)大統領の排日政策と相まって、以前は抗日感情が強い地域であったらしい。晋州市のお祭りで、日本武者風の鎧を着せた人形を馬で曳かせ、見物人がその鎧武者人形に石を投げつけるといったものも過去にはあったそうである。もちろん、現在は親日的な穏やかな学園文化都市で、北海道北見市と姉妹都市になったり、島根県松江市や愛知県豊橋市との青少年スポーツ・文化交流も盛んにおこなわれたりしている。 一方、中津JCと晋州JCの姉妹交流の歴史に目を移せば、その歴史は古く、そして燦々と輝きつづけている。知ってのとおり、1973年(昭和48)に姉妹締結の調印をし、今年で交流30周年を迎える。九州の多くのLOMが、隣国である韓国のLOMと姉妹交流をしている。しかし、多くの姉妹JCは、数年に1度行き来をするだけだとか、交流といっても、メンバー同士が盃を交わす程度の交流がほとんどのようである。中津JCと晋州JCのように、毎年の交流はもちろん、お互いの地域を巻き込んだ事業を展開してきた姉妹JCは希有なケースである。とくに、1991〜1995年度に実施された「中津国際交流青少年使節団」事業は、多くの両国中学生に国際交流の機会をあたえた。また、私たちの姉妹交流がきっかけで、サッカーU15韓国代表の選手が2名、柳ヶ浦高校に4月からサッカー留学することになっている。日韓の近代史や現代史を考えると隔世の感があり、韓国、または晋州の人びとの心の広さに感謝せずにはいられない。 現在、姉妹交流30周年事業については、お互いによきライバルとして議論の限りを尽くしている。私たちの先輩である中津JCシニアクラブと晋州JC特友会の方々も、真剣に交流30周年の意義を議論し、記念事業の成功のためにコミットしていただいている。われわれの愛すべき晋州JCとは、ざっといえばこのような関係にある姉妹JCである。以上、姉妹交流30周年と6月の訪韓にあたり、若いメンバーのために簡潔に書いた。 | ||||
遣唐使は、7〜9世紀、日本(大和朝廷)が中国の唐におくった外交使節である。630年の犬上御田鍬らの遣使を第1回とし、18〜20回任命されたとされている。おもな目的は、国際的な地位の確立と文物の導入である。中国は当時の東アジア世界の中心で、日本にとっては世界の大半といってもよかった。中国に朝貢物をささげて通交し、文化的にすぐれた国と印象づけることは、重要な外交課題だった。遣唐使が自ら朝貢貿易のかたちで所持金と唐の下賜品で買いもとめた文物もあるが、多くは同行した留学生や留学僧が長年かけて集めたものが、そのつど日本にもちこまれた。たとえば、吉備真備は兵学や音楽、暦学関係の多数の文物を、大和長岡らは法制の知識を伝え、空海・最澄は新しい仏教の導入につとめた。 出向者は、LOMの遣唐使である。出向者は、出向先でLOMの権威をたかめ、また、LOMへのフィードバックによって、LOMの進化を加速するインターフェイスの役割を担っている。いうまでもないことだが、高度情報化社会の現在では、日本JC・九州地区・大分ブロックの政策や提言などは、自宅にいても簡単に入手できる。 さらには、別にこちらが欲しなくとも、E-mailやLOM発送により、先方から送りつけてくる。また、創立50周年を迎える私たち中津JCの運営システムや政策はある程度成熟しており、日本JCに出向したところで、目からウロコが落ちるといったことも少ないのではないか。 では、どうしてLOMは出向者を輩出しなければいけないのだろうか。それは「JCは人間道場」だからである。出向すれば、数多くの他LOMのメンバーと触れあうことになる。そのことが自分の所属LOMの風土や歴史を再認識させ、LOMナショナリストへの覚醒を促すことになる。出向先においては、つねにLOMの代表としての緊張感を無意識に体験できるし、LOMでは味わうことのできない全国各地への友情の醸成にもつながる。つまり、出向することによって、形而上的に人間力がたかめられていくのである。 では次の段階として、LOMへのフィードバック(本来はフィードフォワードというべきである)はどうすればよいのか、という問題にぶち当たる。ドラスティックにいってしまえば、出向している年度はLOMへフィードバックすることは無理である。フィードバックとは、政策やシステムをLOMに持ち帰るといった形而下的なことではなく、出向者自身が成長し、出向者自身がLOMで人間力を発揮することに他ならない。つまり、出向者が翌年や将来、LOMで理事やさまざまな役職を拝命し、JC活動を通じて自分自身とLOMをさらに形而上的に進化させることが、出向によるLOMへのフィードバックなのである。 | ||||
中津JCは、公益社団法人である。社団法人とは、人の集合体たる団体(社団)で、法人格(法律上権利・義務の主体となる資格)を認められた団体を指す。財団法人の本体が財産であるのにたいして、社団法人の本体は人の集団である。つまり、われわれ中津JCは、その人的資産(メンバーの人間力)をフルに生かし、社会にとって有益な社会開発運動(まちづくり)を推進する義務と責任を有している。 JCは、まだ世の中に「まちづくり」という単語が一般的でなかった時代から、社会開発運動にコミットしてきた。また、「行動する政策集団」ともいわれ、まちづくりの議論や政策提言だけでなく、自らの行動力を駆使して、創立以来の一貫した行動理念「明るい豊かな社会の創造」に取り組んできた。中津JCの社会開発運動の歴史については、「JCニュース新年号」に記載したのでここではふれないが、50年間にわたり、つねにコンテンポラリーな社会開発運動を展開してきた。 以前は、「JCしかなかった時代」だったとも極論できる。50年前の創始の時代、日本はまだ戦争の傷痕が生々しく、瓦礫のなかでの国土復興というテーマが差し迫った重要課題で、市民(もしくは国民)は「まちづくり」などという、ある意味、情緒的でセンチメンタルなメンタリティが必要な問題に取り組むどころではなかったにちがいない。当然、そのような状況では、現在あるさまざまなNPOやまちづくり団体は存在していなかった。JCのみが青年としての気概をもって、自分たちのまちの未来にたいして、高らかにコミットメントしていた。その後、日本は高度成長時代の波に乗り、JCも時代のニーズにあった社会開発運動をつぎつぎに展開した。あたかもまちづくりの総合商社のごとく、地域開発・青少年開発・環境運動・国際交流・国際貢献・経済発展・文化興隆・観光振興など、ありとあらゆる分野で足跡を残した。 現在は、「JCもある時代」になった。JCが総合商社やデパートだとすると、それぞれの得意分野をもった専門店的なNPOやまちづくり団体が多く存在する。残念ながら、それらの専門職的団体には、JCの知識・スキル・ノウハウは、各分野おいて遠くおよばない。「JCしかなかった時代」から「JCもある時代」に変わったのだ。では、「JCもある時代」のわれわれJayceeは、どのような存在意義をJCにもたせ、どのような社会開発運動を展開すればいいのだろうか。その答えをさがす旅が、この50周年という年である。乱暴に四捨五入してしまうと、今までのJCの社会開発運動は、高速道路の建設促進のためにマラソン・リレーを実施したり、海岸の美化や公園化のために青少年事業を実施したりするといった、インフラの整備に軸足をおいた社会開発運動がメインストリームだった。また、政策提言においても、人口10万人の中津の都市計画など、人口増加と経済の発展を前提にしたものだったと思う。むろん、世の中のニーズもそこにあった。 現在、中津JCは170名を超えるOBを有し、その先輩の多くが、地域のさまざまな団体で要職の任について、「JC MIND」を胸に社会開発運動に取り組んでいただいている。われわれ現役メンバーは、JCの存在意義をかけて、今のJCにしかできない、新しい社会開発運動にチャレンジしなければならない。創立50周年にあたる本年、われわれの最大の特徴ともいえる若さと行動力を前面にだして、インフラや経済だけではなく、「マインド」や「美」というものに軸足をおいた「オルタナティヴな社会開発運動」を、創立50周年記念市民フォーラムで発信しようと準備している。時代のニーズにあっているかジャッジするのは、自分たちや先輩ではなく、もちろん市民の皆さんでなければならない。 | ||||
当たり前のことをいうようだが、われわれは、住民であり、市民である。「住民」とは、その地域一帯に住んでいる一団の人びとを指す。一方、「市民」とは、英語“citizen”の翻訳で、もともとは都市の住民を指すが、転じて、共同体の政治の担い手となる平等な構成員をも意味する。単純にいいきってしまえば、ただ単にそこに住んでいる人びとを「住民」といい、政治が国民一般からかけはなれた状況を批判し、既成組織の外側で政治に参加する人びとを、今日では「市民」とよぶ。 JCには、「地球市民」という概念がある。1989年に日本JCが提唱した思想で、ただ単に地球に住んでいるだけの住民(住人)から、遠く地球の裏側でおこったさまざまな諸問題も対岸の火事とせず、自分の隣人のことのようにセンシティヴに反応し、積極的にコミットしていく地球の市民になろう、というのがそのコンセプトである。このすばらしい「地球市民」という概念にたいして、私は一点の曇りもなく賛同してきたし、これからも自分自身の地球市民意識を少しでもたかめたいと思っている。平松守彦大分県知事の造語に「グローカリゼーション(グローバルに考え、ローカルに行動する)」があるが、このことばは、偶然にも地球市民運動の本質をついている。われわれJCメンバーは、一人ひとりが地球市民たらんとする気概をもつべきだと思う。 しかし、この「地球市民」を考えるときに、この概念のすばらしさとは別に、何か重要なものを置き忘れたような気がずっとしていた。それは「日本国民」というファクターが、われわれJCを含めた日本人には欠落、もしくは希薄ではないかということである。わが国は経済が不調といっても、GDP世界第2位の経済大国で、G8のメンバーであり、アジアの盟主(経済的側面で)であることはまぎれもない。また、文化面においても、古代には東アジアの影響を受けつつも、世界に誇れるオリジナリティあふれる独自の文化を育んできた。それにもかかわらず、日本人の多くは、自国にたいしてのリスペクトが、他国民よりも弱いといわざるを得ない。このことは端的にいってしまえば、国歌・国旗にたいする敬意の低さにあらわれている。 長野オリンピックのときに、ある日本人金メダリストが、表彰式での国歌演奏・国旗掲揚に、帽子をかぶったままのぞんだことがあった。この非常識な行為に、他国の選手たちは一様に驚いたそうである。しかし、このことをこのメダリストの罪というのは、彼女がかわいそうである。彼女は日本で生まれ、日本で教育を受けてきたのだ。いわゆる世界の常識中の常識(グローバル・スタンダード)である国歌・国旗にたいするリスペクトやマナーを、日本の教育は彼女に施してこなかった。ここのところに根本的問題があると思う。 私たちJCも例会や式典で壇上にあがるときに、国旗に一礼をする。ややもすれば、先輩や担当委員会にいわれたから、何となく頭を下げてはいないだろうか。国旗や、あるいはその後ろにある国家にたいして、誇りや尊敬心をもって、礼をしているだろうか。「地球市民意識」と「日本国民としての誇り」、この間に存在している溝のようなものを埋めるヒントをいただければと思い、3月度講師例会での講演を、親日家(というより日本の愛国者)で台湾人(植民地時代の日本人)の金美齢さんにお願いした。 | ||||
2003年は、国家や地域の未来を大きく左右する選挙の年であるといっていい。私たちの住む中津市においても、4月13日に県知事選挙・県議会議員選挙、4月27日に市議会議員選挙があり、さらに秋には市長選挙も控えている。また、イラク戦争や政局の動向によっては、国政選挙のおこなわれる可能性も否定できない。 選挙の起源は古く、古代ギリシャの都市国家においては、公職者の選挙がすでにおこなわれていた。市民の資格をもつものは、市の公的作業を分担することが義務とされていたので、そうした役割の分担は、輪番制にもとづいて決めるのが一般的であったが、軍の指揮官や裁判にかかわる調停者などは、有識者や経験の豊富な人びとから選挙によって選出されていた。一方、わが国においては、1889年(明治22)の衆議院議員選挙法により、翌1990年(明治23)の第1回帝国議会選挙以来、納税額にもとづく制限選挙がおこなわれてきたが、1925年(大正14)に男子普通選挙が実施された。婦人参政権は第2次世界大戦後の1945年(昭和20)に認められ、翌1956年(昭和21)の選挙以降、完全普通選挙が実施されている。 当然のことながら、私たち中津JCは、JCデモクラシーとでもいうべき、民主主義の原則で運営されている。とりわけ定款は重要で、中津JCの憲法、もしくはバイブルといっていい。その定款の第1章第4条(運営の原則)には、「この法人は、特定の個人、または法人、その他の団体の利益を目的として運営してはならない」、さらに第2項として、「この法人は、これを特定の政党のために利用してはならない」と明記されている。要するに、選挙活動を禁止しているのである。このことは、広く社会に貢献する義務を有している公益社団法人として、至極当然なことである。 しかし、社会に大きな変化やインパクトをもたらすには、政治や行政の力が必要なことが多い。経済の不調による金融財政改革、政治や行政のモラル・ハザードにたいする構造改革、国家と地方の枠組みを根本から見直す市町村再編、日本人のメンタリティの根幹にかかわる教育改革など、ありとあらゆる面で閉塞感が充満しているわが国においては、政治や行政を無視して、日本や地域の未来を語ることは絵空事にひとしい。 私は理事長所信のなかで、「自分たちの『まち』のために一切の打算を捨てて、新しい時代の政治とJCのかかわり方を模索していきます」とコミットメントした。このことは、当然、選挙活動するということではなく、市民(国民)一人ひとりの参政意識をたかめることによって、本当にわれわれのピュアな意思を代表する正しい首長や議員が選ばれる真の民主主義社会を創造することを目的としている。日本の青年会議所の創立以来の一貫した行動理念は、「明るい豊かな社会の創造」である。われわれJayceeは、この「JC MIND」をつねに胸に秘めて、勇気をもって政治にコミットしていくべきだと信じている。 | ||||
以前、このコラムのなかで、「新しい(オルタナティヴな)社会開発運動」というタイトルで、現在の青年会議所が取り組むべきまちづくりについて、自分なりの所感を書いた。この思いを具現化したものが、「元気・夢会議」であり、「元気・未来塾」であることはいうまでもない。 「社会開発」ということばは、昭和30年代からしばしば使われるようになったが、バブル経済の崩壊前後、「生活大国」という1990年代の日本の最大の課題がクローズアップされるなかで、改めてその活性化が必要になってきた。一般的には社会開発を、「人間の諸活動の社会的環境・基盤を改善・整備すること」と規定することができる。@住環境・医療・保健・教育・レジャーなどの生活環境基盤の整備、A地域・都市開発・交通・輸送通信・情報など国土の開発・整備、B立地・廃棄物処理・流通など産業活動の環境整備、などが含まれる。こうした開発には、社会的な共通部門、共同消費的なものが多いため、市場経済にゆだねることは不可能または不適当なものも多い。したがって、社会開発推進の主体は一般に公共部門ないし第三セクターや、JCのようなそれに準ずる公益法人やNPOが担うことが望ましいと思う。 少し説明くさくなるが、「オルタナティヴ」の意味についてふれたい。辞書を引くと、“alternative”のもともとの意味は、「T.(二つのうち)どちらかを選ぶべき, 二者択一の」、「U.代わりとなる, 代わりの」、「V.慣習[伝統]的方法をとらない, 新しい」と書いてある。私があえて使ったこの「オルタナティヴ」という形容詞は、前記の3つの意味ももちろんあるが、芸術や文学の世界でしばしば使われる「メインストリーム(主流派)」の反対語(もしくはたぶんに対義語)としての「オルタナティヴ」である。つまり、「メインストリーム」を否定して代わりのものをむりやり模索することではなく、また、あえて「メインストリーム」からはずれて「トリビュータリー(傍流や支流)」に走るといったことでもない。いいきってしまえば、メインストリームをしっかりと認識した「別の大きな(大切な)流れ」という意味で使用した。 現在、5月18日(日)の創立50周年記念事業にむけて、各委員会・全メンバーが、事業の準備やチケット販売に奔走している。チケットを売って予算を消化することはもちろん大事だが、たとえチケットが売れなくても、多くの市民や各種団体に、この事業をとおしてJCをPRすることも50周年の大きな意味のひとつである。メンバーには、さまざまなシーンで市民にたいして、上記のような「新しい(オルタナティヴな)社会開発運動」という長ったらしい説明はできなくても、こんな大それた事業を思いついて実行に移すような団体は、この地域ではJCしかないということに、ぜひ、胸を張ってほしい。要するに、「新しい(オルタナティヴな)社会開発運動」とは、「JC(青年)らしいまちづくり」のことである。 | ||||
「JCは人間道場−JC MIND in My Soul−」と、私は自分の理事長所信のなかで書いた。もちろん、このフレーズは私のオリジナルではなく、JCで古くからいわれ続けてきたものである。ことさらに、所信のなかでサブタイトルとして取り上げたのは、このフレーズの重要性をつねに感じているからである。このことを強く意識しはじめたのは、10年ほど前、“リンタツ”こと林達夫先輩の講演「JCと浪花節」をきいたことがきっかけである。その後のJC活動のなかで、さまざまな役職(理事)や出向を経験し、多くの知識やスキルを(自分なりにではあるが)得たが、結局、たどり着くところはいつも「JCは人間道場」というフレーズであると断言できる。 ちなみに、「道場」を和英辞典で引くと、“an exercise [a training] hall”とでている。ムダなことのようだが、これを直訳すると、「運動[練習]するための集会所」ということになる。しかし、今度は「道場」を国語辞典で調べてみると、「T.仏道を修行する場所・寺」、「U.武芸を教授・練習する場所」と載っている。当然のことながら、国語辞典の方が、われわれが感じる「道場」という単語がもっているいい感じの雰囲気を醸しだしている。つまり、「道場」とは、仏教や武道の真理を求道する場所ということであろう。さらにいえば、「道場」とは、単に技術を習得したり、体力を向上させたりするだけでなく、マインドを磨く場所ということが、その語感に込められている。 6月1日(日)に、「JC MIND 向上セミナー」という研修事業を宇佐JCと共同で実施をする。この事業で、パネリストとコーディネーターをお願いしている4名は、JCという人間道場でJC道を極めた先輩ばかりである。「JC道」や「JC MIND」という単語は、可燃性の高い観念的な(ある意味危険な)ことばで、それ自体には実態(定見)はないし、もちろん学問的に体系化されているわけではない。しかし、この4名の出演者に限っていえば、本来、形而上的な概念である「JC道」や「JC MIND」を形而下のレヴェルで具現化し、JCでの事業やプログラム開発、さらには政治やビジネスの世界においても営々と実践してこられ、現在もチャレンジしておられる。まさに、リヴィング・レジェンド(生きる伝説)であり、JCの至宝というべき先輩たちである。 じつをいうと、私は、この事業のリアルな成果は、本年度中は顕著にはあらわれないかもしれない、と覚悟している。4名の出演者の崇高な「JC MIND」が、参加した一人ひとりのメンバーの「JC MIND」に深く刻み込まれ、醸成され、数年後にさまざまな役職をしたり、真にJCらしい事業を企画・実施したりするときに、無意識のうちにプラスの作用として成果があらわれることに期待をしている。もちろん、私は、単年度制のJCでは1年1年が勝負で、成果や効果を先に求めるのは詭弁や逃げだということも理解しているし、ドッグ・イヤーといわれる昨今では、来年はおろか数ヶ月先のことさえも予測が困難であることも承知している。しかし、JCの本質的な価値、つまり「JC MIND」は、創始の時代も現在も、そして未来も永遠に輝きを放ちつづけることは断言できる。いいきってしまえば、6月1日(日)の「JC MIND 向上セミナー」それ自体が、純度の高い「JC道場」であり、密度の濃い「人間道場」なのである。 | ||||
「近ごろの新入会員は、先輩のいうこときかない」というひとがいる。まちがいである。また、「今どきの若いものは、ただ俺についてこいといっても納得しないから、きちんと理論立てて説明する必要がある」というひとがいる。まったくもって、とんでもないまちがいである。新入会員がいうことをきかないのではなく、先輩(この場合の先輩とはOBのことではない)が、いうことをきかせるだけの魅力にかけていたり、普段のJCにたいする姿勢が曖昧だったりすることが、こういったまちがった発言の種子(たね)になっていると思う。 社会的動物であるわれわれ人間は、さまざまなコミュニティに属して生きざるを得ない。つまり、「先輩」「後輩」という人間関係をさけては通れない宿命を背負っている。英語圏では、「先輩」「後輩」の関係はあまり重要視されず、これらの単語のニュアンスにぴったり相当する英単語はないらしい。この「先輩」「後輩」という、ある意味、超組織的メンタリティを含んだ関係は、「若衆宿」の古俗をもつ南太平洋から東アジアにかけてのものらしい。 話がそれるが、「若衆宿」について少しふれたい。日本における「若衆宿」は、近世以前は南方的要素が濃い地域(近畿・中国・四国・九州地方など)には、当たり前のようにあった習慣(組織)である。村社会の男子はある年齢(12歳前後か?)になると、地域の慣習として「若衆宿」という組織に入って、そこで共同体のルール(ときには夜這いのしかたまでも)を学びながら、大人になった。また、自警団的な要素も強く、火事や災害のときの救急隊も「若衆宿」が請け負っていた。自然、村の大人たちも「若衆宿」のリーダーにたいしては、命令もできないし、むしろ敬って接していたらしい。維新の元勲である西郷隆盛が、「郷中」とよばれていた薩摩藩郷士の「若衆宿」のリーダー(お先師)だったことは有名である。大久保利通・大山巌・西郷従道・東郷平八郎なども西郷のいた下加治屋町の「郷中」の出身で、少年時代、その「郷中」のお先師のもとで、さまざまな薫陶を受けた。 「若衆宿」や「郷中」には、非常に厳しい規律がそれぞれに存在しており、なかでも「先輩」「後輩」の長幼の序がもっとも重んじられた。幕末の薩摩藩士が討幕運動のなかで、お先師とよばれる「郷中」の先輩のことばひとつで、死地に飛び込んでいったことを思えばわかりやすい。では、どうして「若衆宿」の先輩の命令に、後輩(新入会員)は従順だったのだろうか。「それは古俗だから」と断定してしまえば、身も蓋もない。そこには、自分が所属している組織「若衆宿」にたいするプライドやリスペクト、また、自分のすべてをかけて後進を指導していかなければいけない、という強烈な責任感があったのではないか。そうそう単純ではないが、JCには「若衆宿」に通じる要素がたぶんにあると思う。後輩がいうことをきかないのではなく、いうことをきかせられない自分自身に問題があるのだと自省してほしい。 7月12日(土)に「新入会員オリエンテーション」を実施するにあたり、新入会員にたいして、何かメッセージを伝えたいと思い筆を執ったが、先輩(もちろん、たぶんに自分を含めた)への訓戒ともつかない奇妙なグチになってしまった。支離滅裂になったので、むりやりにまとめたい。とにかく、新入会員(入会3年未満)には、「新入会員オリエンテーション」にぜひ出席して、「JC MIND」を身につけてほしい。そして、新入会員を含めたすべてのJCメンバーには、JCにおける「先輩」「後輩」という人間関係は、他団体や他組織のそれよりも何にもまして重要で、かつ最高に心地よい関係であるということを再認識して、より青年らしくポジティヴにJCに向きあってほしい。 | ||||
「人民の、人民による、人民のための政治を、この世から消滅させてはならないのである。」 われわれ中津JCは、今秋の中津市長選挙で、公開討論会にチャレンジしようと思っている。簡単にいえば、公開討論会とは、市長選や知事選などの選挙で、立候補者が一堂に会して、自分の政策や理念を有権者に訴える、オープンなフォーラムのことである。私は、公開討論会は、立候補者・有権者・主催者のそれぞれが民主主義へのリスペクトを胸に抱き、三位一体となっておこなわなければいけないと考えている。公開討論会について考えるとき、思いをはせる人物がふたりいる。上記のA・リンカーンとわが郷土の先哲・福澤諭吉である。福澤先生については、選挙(もしくは公開討論会)には直接的な関係がないし、別のテーマの機会に筆を執ろうと思っているので、ここではふれない。 さて、リンカーンと公開討論会のことである。1856年、リンカーンは奴隷制拡大に反対して、ホイッグ党から結成されたばかりの共和党にうつった。1858年、民主党のステファン・A・ダグラスとイリノイ州連邦上院議員の議席をあらそった。このときの共和党州大会で、「わかれたる家は立つことあたわず」という有名な演説をおこない、アメリカは奴隷制で分裂している状態にたえられない、と説いた。また、奴隷制を主題にダグラスと7回にわたる公開討論会をひらいた。そして、この7回にもおよぶ公開討論会のすえ、リンカーンは選挙では敗北した。しかし、彼はこの公開討論会の開催にたいして、まったく後悔した様子もなく、毅然とした態度で選挙結果を受け入れ、その後も奴隷解放を主張し続けた。そのことも相まって、このリンカーン・ダグラス論争は、全国的に彼の名を知らしめる結果となった。 民主主義国家に所属するわれわれは、自らの意思と責任で投票し、首長や議員を選ばなければいけない。その選出基準は、JCの理念でもある「明るい豊かな社会の創造」が、もっとも優先されるプライオリティであることはいうまでもない。自分の意思で応援する候補者を決めて選挙活動することも、すばらしい国民(市民)としての義務と権利の遂行である。しかし、青年(JC)しかトライできないこと、また、青年(JC)だからしなければいけないこと(たとえば公開討論会など)に、真正面から取り組んでいくことも 、われわれ青年(JC)に課せられた「ノブレス・オブリージュ(Noblesse Oblige)」だと思う。アメリカ合衆国では、150年以上も前から、公開討論会が当然こととして開催されてきた。われわれ日本人も、真の民主主義国家の一員として、偉大なる一歩を踏みだすときがきたと思う。 | ||||
7月17日(木)の総会で、社団法人中津青年会議所・2004年度第51代理事長予定者が決定する。自分自身が1年前にその立場だったことが、ついこの間のようでもあり、もうずいぶんと前のような気もする。ともかく、次年度理事長予定者が決定することについて、安堵感のようなものが今の私にはある。おそらく、この感覚は毎年の理事長がひとしく味わうもので、とくに私に限ったことではないと思う。そして、総会後は、急ピッチで次年度キャビネットの組閣がはじまる。 以下は、私の尊敬する、ある先輩理事長からの受け売りである。 次年度の理事や委員会スタッフのオファーを受けたら、どんな理由があっても、絶対にことわってはいけない。何でもいいから、何も考えずに「Yes!」といわなければいけない。もちろん、仕事や家庭をないがしろにして、JCのみに狂信者のように取り組めなどといっているのではない。オファーにたいして「Yes!」といった瞬間から、知らず知らずのうちに自分のなかで、目標設定ができているのである。たとえば、理事をするためには、今まで自分がやってきた仕事の何割かを社員にたのまなければいけないとか、各種大会に出席するためにどのようにして時間をつくるのかといった、具体的な目標がごく自然とできてくる。そして、その1年間が終わったとき、自分のみならず、社員や家族も自然に成長しているのである。 もちろん、メンバー自身が、理事や委員会スタッフを経験することが1番のメリットである。当たり前のことをいうようだが、JCは理事長も委員長も新入会員も同じ会費であるし、JCの4つのオポチュニティ(自己啓発の機会・社会開発の機会・国際交流の機会・ビジネスの機会)をひとしく有している。しかしながら、理事や委員会スタッフになることによって、形而上的に「JC MIND」が喚起され、人間力がたかめられていくことは疑う余地がない。 また、私自身がそうだったので断言できるが、理事長予定者が組織図を考え、キャビネットを組閣するときに、ただ何となくとか、その日の気分で理事を指名することは絶対にない。そのメンバーがLOMとってかけがえのない戦力だったり、その役職をとおしての成長を願ったりしてのことである。すべてのメンバーには、JCに入会したからには、理事会構成メンバーや委員会スタッフになって、「JC MIND」と人間力をたかめてもらいたい。 2004年度は、創立50周年を終えた中津JCの新たなる旅立ちの年(「新・創始の時代」)であり、JCI世界会議福岡大会が開催される重要な年度である。「輝き続けるJC MIND」を胸に、より青年らしく、ポジティヴにJCに向きあってほしい。 | ||||
先日、横浜にいって、「JCサマーコンファレンス2003」に出席した。「日本改新」へのソリューションを発信するさまざまなフォーラムやセミナーが開催されており、比較的まじめにいろいろなプログラムに参加した。また、サマコンの前日には、3月度講師例会でお世話になった台湾総統府国策顧問の金美齢さんにひさしぶりにお会いし、「ニッポン」というテーマで対談をさせていただいた。非常に濃密な3日間をすごし、国家のこと、政治のこと、経済のこと、社会開発のこと、平和維持と開発援助のこと、JCのことなど、いろいろなジャンルで貴重なサジェスチョンをいただいた。 とりわけ、「国家」について深く思うところがあった。最終日の「日本改新タウンミーティング・イン・JCサマーコンファレンス2003」にパネリストとして出演された1980年度第29代日本JC会頭・鴻池祥肇先輩(構造改革特区担当大臣・防災担当大臣・青少年育成推進本部担当大臣)が、「JCメンバーなら、月に1度は社員を焼鳥屋にでも連れていって、天下国家を論じるべきだ!」と檄を飛ばされていた。また、「現在のさまざまな社会問題や政治問題は、国家観や国家像といったものが、政治家や官僚を含めた国民一人ひとりに欠如しているからだ」とも、おっしゃっていた。まことにもって、そのとおりだと思う。 「国家」の定義とはいったい何か。古代における「くに」(まだ国家とはよべない)は、人種・言語・文化などを共有する共同体といったもので、ごく小さなエリアでの民族や部族の単位でしかなかった。もちろん、国民意識やナショナリズムといったものもなかったにちがいない。その後、人類の歴史とともに、古代ギリシャの都市国家、古代のローマや中国のような帝国、未開社会や遊牧社会の部族国家、ヨーロッパ中世の封建国家、あるいは日本の江戸時代の幕藩体制のような封建国家が、つぎつぎと誕生した。 現代は「国民国家」の時代である。これはフランス革命によって、劇的に誕生したといっていい。市民革命の理念がナショナリズムの主張とむすびつき、「国民国家」が正当化された。つまり、同一の「ネーション」に帰属するという意識の浸透が、体制の民主化過程と同時に進行し、国民国家への一体感が抽象的な人民主権の理念に具体性をあたえた。この近代国家は、一般に「領域」「主権」「国民(民族)」から構成される。つまり、(1)国境でかこまれた一定の領域が確保されていること、(2)その領域内では一元的な法律の権威が共有され、その法律を制定し、強制するための排他的組織が確立していること、(3)構成員(国民)の間で言語・文化・宗教に関して相当程度の共通性がたもたれていること、の3つの要件である。 アメリカ合衆国やイギリス(United Kingdom)、メキシコ合衆国、スイス連邦は、その国名が示すように「ステイツ」と訳すべき連邦国家である。わが日本の場合は、「ネーション」と訳すべき民族国家だと思う。どちらがすぐれているかを比較することは、この稿の主題ではない。 私見だが、「ステイツ」の方が多様な民族・宗教・文化・言語などが雑然と混在しているために、法による社会のルールがスポーツのように明快であり、そのルールを遵守さえすれば、どんな民族でも(つまりだれでも)その社会に参加できるという自由かつ合理的な面がある。その反面、ルールにたいしての厳格さと公正さは、社会生活のなかでもっとも重要なプライオリティとされている。一方、わが国は単一民族(正確にはまちがいである)の「ネーション」であるために、社会のこまごましたところまで、いちいちルールを作成しなくても、それなりにお互いを理解し、おおらかに生活することができる。しかし、本来長所であるべきこの国民性が遠因で、もっとも厳格さと公正さが要求される政治や教育の世界において、もたれあいや馴れあいが、その副作用として生じているのではないか。次代を担うわれわれJCメンバーの世代が、それぞれのしっかりとした価値観をもって、天下国家(国家観・国家像)を語りあうことが、今、求められている。 | ||||
佐世保にいってきた。いうまでもなく、「九州地区会員大会2003佐世保大会」に参加するためにである。こういうことをいうとひねくれているようだが、昨年、地区大会を主管したわりには、格段に地区大会のみを特別視することもなく、ごく普通の精神状態で西九州に足を踏みいれることができた。 「九州地区大会」は、九州地区協議会最大のイベントである。その最大のイベントを、昨年、われわれ中津JCが主管した。その中津大会では(別に自慢ではなく事実として)、「不易流行」の精神と「始造」のテーマにのっとり、過去の地区大会の慣例をことごとく打破して、中津スタイルとでもいうべき新しい地区大会のかたちを発信できたと思う。ある意味、佐世保大会も中津スタイルの延長線上にあったのではないか。もちろん、中津大会と佐世保大会を比較して優劣をつけることは、まったくもって意味がない。純粋に、佐世保JCのポテンシャルの高さと佐世保大会のすばらしさにリスペクトしたいと思う。 さて、JCの各種大会のことである。1月の「京都会議」にはじまり、「大分ブロック会員大会」「全国城下町シンポジウム」「ASPAC」「サマーコンファレンス」「九州地区大会」「全国会員大会」「世界会議」まで、じつに多くの大会やコンファレンスが、毎年開催されている。それぞれの大会には、もちろんそれぞれの意味や意義がある。しかし、これらすべての大会に共通していえることは、多くのメンバーで参加すると、とても楽しいということである。 快楽主義を奨励するつもりはないが、「楽しくなければJCじゃない」と思う。JCの三信条は、「奉仕」「修練」「友情」である。もちろん、この場合の「友情」とは、いっしょに各種大会にいって仲良くなることではなく、国家や地域の未来について本気で議論したり、事業の成功のためにともに額に汗を流したりすることで醸成されるものである。しかし、その「友情」の醸成のサポート・サプリメントとして各種大会に気軽にでかけることをあえて奨めたい。 「九州地区会員大会2003佐世保大会」には、30名をこえるメンバーに参加していただいた。大懇親会でブースを出展したり、LOMナイトで盛りあがったりと、とても楽しい想い出ができた。また、卒業生も卒業カウントダウンがスタートしているのを十分に自覚して、非常に楽しんでおられたと思う。本年は、「全国会員大会」と「世界会議」を残すのみとなったが、次年度以降も、ぜひ、各種大会に積極的に参加してほしい。ただし、「楽しくなければJCじゃない」の意味の裏側には、「苦しくなければJCじゃない」という意味があることを忘れてはいけない。 | ||||
われわれ中津JCの「創立50周年記念式典」と「記念祝賀会」が終わった。メンバーにどんなに感謝をしても足りないくらい、本当にみんなががんばって、すばらしい50周年事業の運営を支えていただいた。もちろん、中津JCのJC運動が50周年で終わるわけではない。私も自分の所信のなかで、「50周年は次の50年、つまり100周年への折り返し地点でも通過点でもありません」と書いたように、永遠とつづく中津JCの栄光の歴史の一里塚にすぎない。しかし、2003年度の天王山を迎え、勝利したことには本当に満足をしている。 余計なことかもしれないが、他の役割があり式典会場に入れなかったメンバーのために、私の理事長挨拶をここで紹介をしたい。以下は、式典での理事長挨拶の原稿である。 1953年(昭和28)、日本は戦争の傷痕がまだ生々しく、瓦礫のなかでの国土復興 という差し迫った重要課題に、国家全体が押し潰されそうになっていたころ、日本の、そしてこの地域の未来は、われわれ青年の手で築いていこうという気概をもった21名の志を同じくする青年経済人が集い、50年前の今日、9月4日に中津青年会議所は誕生いたしました。半世紀前の創始の時代と現在とでは、政治・経済・文化・国際情勢・地球環境などのわれわれを取り巻く状況は大きく変化しています。しかし、国家を想い、地域を愛し、お互いの友情と世界との連携を大切にする、“I Love JC”の精神「JC MIND」は、過去も現在もそしてこれからも決して変わることはありません。「変革の能動者」として、つねに世の中の事象にたいして敏感に反応し、青年らしい気概をもって行動する精神こそ、創始の時代から50年間の永きにわたり、脈々と受け継がれてきた「JC MIND」だと、私は考えます。 半世紀にもわたるJC運動のなかで、中津JCは、かずかずの社会開発運動を展開してきました。その軌跡は、まちのあちらこちらに地域の資産として、現在も輝きを放っています。また、170名を超えるOBを有し、その多くが、地域のさまざまな団体やグループの重要なポジションで活躍しています。そしてLOMとしても、行政をはじめ、さまざまなボランティア・グループやまちづくり団体とのネットワークを構築してきました。また、私たち現役メンバーも昨年(2002年)は九州地区大会にチャレンジし、地区やブロック、そして多くのLOMとの連携が、さらに深まりました。何よりも大会準備やキャラバンを通じてLOMの元気、つまりメンバー 一人ひとりの「JC MIND」が、さらに輝きを放つようになりました。このように、50周年を迎えた私たち中津JCは、先輩から多くの偉大なる資産を受け継いでいます。 また本年は、創立50周年とともに、大韓民国晋州青年会議所との姉妹交流30周年を迎えた年でもあります。九州の多くのLOMが隣国である韓国のLOMと姉妹交流をおこなっていますが、中津JCと晋州JCのように、30年間1年も欠かさず交流をもち、しかもJC間だけではなく、それぞれの地域を巻き込んで、まちづくり運動や青少年開発事業を日韓両国で開催してきたというような深い関係は、希有なケースだといわれています。また、現役メンバー・OBともに国境を越えた友情を育み、生涯の友としてお互いを尊敬しあっているメンバーも多くいます。この先輩が営々と築いてこられた30年間の友情をさらに育み、同じJCIクリードと「JC MIND」を共有する同志として、日韓両国の親善にさらに貢献できるように、さらに研鑽を積んでいく所存です。 確かに今、日本を取り囲む状況は、楽観できるものではありません。しかし、このような状況だからこそ、JCにたいして真摯に、そしてよりポジティヴに向きあわなければいけないと考えます。「0→1の道程は1→1000のそれよりも長い」というアラブの諺があります。50周年を迎えた私たちは、ゼロからスタートするのではありません。先輩たちにより、50年という永きにわたり培われてきたすばらしい資産を受け継いでいます。創始の時代の先輩たちが、戦後、焦土と化した日本の復興に立ちあがったように、私たち中津JCは50周年を期に、今後を「新・創始の時代」としてとらえ、新しいJC運動にチャレンジしていく所存です。 | ||||
11月9日投票日の中津市長選挙にむけて、立候補表明者による公開討論会の開催が現実のものとなった。ここにたどり着くまでに多くの障害や紆余曲折があったが、そのことについては、今回この稿ではふれない。この稿では、なぜ私がかたくなに公開討論会の実施にこだわってきたかを主題に、筆をすすめようと思う。 その第1の理由は、今回の市長選にたいしての市民の関心がいつにも増して非常にたかい、ということである。現在(9月17日)、立候補表明している2名の方は、本当にすばらしい候補者だと私は思っている。東大卒、キャリア組(高級官僚)出身というだけでなく、おふたりの政策は、時代と地域のニーズにあったものだと思う。政策的にちかい部分が多いので、文書だけでは対立軸が明確にできないからこそ、直接、市民の前で討論をしていただきたいと思っている。もちろん、市民のマジョリティもそこにあると信じている。 第2に、現行の選挙活動への疑問である。私は過去、市長選に限らず、国政選挙や県議選などの選挙活動をまがいなりにも手伝ったことがある。そのときにしたことといえば、後援会カードの収集、早朝もしくは夜のポスティング、違法ギリギリのポスター貼りやローラー作戦、個人演説会の看板立てなどの設営、候補者の名前を連呼するだけの選挙カーへの乗車、などといった挙げるのもおぞましいような行為ばかりである。こういった選挙活動の意義や問題点は、わざわざ書き連ねる必要もないほど、民主主義の理想とは乖離している。お座なりな辻立ちなどではなく、候補者の政策をしっかりときく機会や、候補者同士がお互いの政策について意見交換や議論する場の必要性をつねづね感じていたのは、決して私だけではないと思う。 最後に、少し大げさのようだが、日本の民主主義の進化のためである。わが国にもかつては立会演説会といって、候補者が一堂に会し、自身の政策を述べる機会があった。しかし、誹謗中傷のヤジによる対立候補の演説の妨害や陣営の動員合戦の過熱化などにより、1983年(昭和58)の公職選挙法の改正により禁止されてしまった。要するに、日本では告示(公示)後の公開討論会を禁止しているのである。今回、われわれが後援をお願いしているリンカーン・フォーラム(公開討論会支援NGO)は、このような状況を打破するために、1996年から650回以上も公開討論会に携わってきた。また、JCも今年だけで150箇所以上の選挙区で、全国のLOMが公開討論会(もしくは合同個人演説会)にチャレンジしている。こういった全国的な運動に参加することにより、政治レヴェルでの公職選挙法の見直し(改正)の議論を加速させ、もっと簡単に公開討論会が開催できる、当たり前の民主主義国家になってほしいとの願いも込めているのである。 地域の将来を託す首長を選ぶ市長選に、青年としての、市民としての自らの意思を示さず、公開討論会の運営にあたることは、必ずしもベストの選択とはいえないと思う。しかし、現在の中津市では、われわれ社団法人中津青年会議所しか公開討論会にチャレンジしないし、また、その開催能力をもっていない。このJCとしての責任の重さを十分に認識して、ピュアな気持ちでストロングスタイルの公開討論会を成功させたいと思っている。 | ||||
3年ぶりの洋上研修事業「九州JC洋上スクール2003」に参加した。さまざまな気づきを得たり、楽しい想い出をつくることができたりしたが、何といっても1番印象に残ったのは、今回の事業のコーディネートをしていただいた梶原日出男先輩(つくしJC)の「JC MIND」にふれたことである。今回の事業で、梶原先輩が直接的に参加者にセミナーを開講した時間は、延べ10時間を超えていたと思う。先輩は研修のプロに限りなくちかい(もしくはプロ以上の)方だから、10時間分の研修プログラムは、すぐ準備できるにちがいない。しかし、先輩を少しでも知るメンバーなら、先輩が自分の引出のなかから10時間分のプログラムを単純に抜粋したのではなく、この4日間の洋上研修に最大の成果をもたらすために、自分の引出を1度バラバラに崩して、まるでトランプタワーを組みたてるように、慎重にプログラムを再構築したことは容易に想像できる。 ここで、私と梶原先輩の関係について少しふれたい。知ったようなことをいっているが、私と先輩は、じつはそれほど深いつきあいではない。初めての出会いは、2000年の冬、湯布院温泉だったと記憶している。それは、九州地区からの日本JC役員出向者にたいする激励会的な要素を含んだ、泊まりがけの懇親会だった。そこには歴代地区会長はもちろん、松山政司1999年度日本JC会頭まで参加されていた。私は、当時(2000年度)の三郎丸裕司地区会長の運転手として、その末席を汚していた。その宴席で、いきなり割り箸をマイクがわりに握った先輩が立ちあがるなり、「今から、中津JCの増矢くんが隠し芸を披露して、皆さんをアッといわせます」と切りだし、そのマイク(割り箸)を私に手渡した。そのとき、どういった芸でお茶を濁したのかはおぼえていないが、とにかくそのことがトラウマになり、どうも苦手意識が現在も消えない。 そんな梶原先輩が、人間力開発(HD)プログラムというすばらしい研修プログラムを開発したときいて、トラウマがありながらも、直感的にすごいプログラムだと確信めいたものが、私のなかにあった。興味をおぼえて、地区や他ブロックでの先輩の講演を拝聴しに何度かでかけた。そのときに感じたのは、HDプログラムの内容のすばらしさもさることながら、むしろ、先輩の「I Love JC」にあふれた「JC MIND」に心が揺さぶられた。今回の洋上スクールも、デキの悪い後輩たちにたいする先輩の「オマエら、しっかりしろよ!」という、愛情にあふれた叱咤や激励を感じたのは、私だけではないと思う。 最後に、梶原先輩がこのコラムを読んでいただけるかどうかわからないが、先輩へメッセージ(お願い)をおくりたい。先輩への講演依頼にたいして、「今年1年はご恩返しのつもりで受諾するが、来年からはご遠慮しようと思う」、と先輩はよくおっしゃっている。もちろん、先輩の本音は恩返しなどという情念めいたものでなく、使命感が先輩を突き動かしていることは明らかである。私は、梶原先輩は21世紀のリンタツ(林達夫)先輩である、とつねづね思っている。リンタツ先輩は、自分の趣味や酔狂で約30年間にわたりJCで講演してきたわけではない。リンタツ先輩の使命感が、1300回を超える講演回数という金字塔を打ちたてたのにちがいない。残念ながら、リンタツ先輩の後継者とよべる「JC MIND」を伝承するJC宣教師は、梶原先輩以外、存在していない。もちろん、梶原先輩とリンタツ先輩の講話内容は、まったく趣を異にしている。しかし、そのなかにあふれている「I Love JC」の精神(JC MIND)は、寸分の差異もないといっていい。梶原先輩には、デキの悪い私たち後輩たちのために、JCの宣教師(JC愛の伝道師)であり続けていただきたい。 | ||||
今年も全国会員大会がおわった。なんといっても、全国大会のメインイベントは卒業式である。今年の福井大会には、10名中5名もの卒業生に参加をしていただいた。手前みそだが、参加していただいた5名の卒業生にたいして、精一杯のお世話をしたつもりである。そして、卒業生も満足していただいていたように思う。毎年、秋風が身にしみる季節になると、LOMの主役は次年度チームと卒業生になる。本年度理事長の私としては、残りの理事長職の大部分を卒業生へのリスペクトに捧げようと思っている。 いうまでもなく、JCの組織としての最大の特徴は、組織単年度制と40歳定年制である。このふたつの制度が、半世紀もの永きにわたり、JCをつねにフレキシブルで活力ある組織たらしめてきた。組織単年度制は、つねにポジティヴでやる気のある理事やメンバーが、新しい発想で事業展開できるエンジンになっているし、40歳定年制は、組織力維持のための恒常的な新入会員(ヤングブラッズ)の獲得をJCに運命づけている。卒業生と一緒にJC活動ができなくなることは非常にさびしいことだが、JCの活力を維持するためには、この制度は致し方のないことだと思う。 卒業生と一緒にJC活動ができなくなると書いたが、JC運動は永遠にともにできる。「生涯一Jaycee」という概念があるが、まことにもってそのとおりで、卒業生(OB)一人ひとりがLOMの人的資産として地域や諸団体で輝きを放ちつづけるのである。卒業生には、今後も中津JCのために、JC運動に前向きにコミットしていただくことをお願いしたい。 さて、本年度の卒業生のことである。私だけでなく、多くの(すべての)メンバーが、10名の一人ひとりの卒業生たいして、さまざまな想い出や、個人的な思い入れがあることはいうまでもない。ここではいちいちふれないが、一生涯、忘れることができない多くの宝物をいただいた。俗っぽいことをいうようだが、今から年末にかけて、家族例会や卒業生送別会(追い出し)、委員会忘年会など、打ち上げ的イベントが数多く開催される。次年度以降もLOMに残るメンバーは、そのひとつひとつの機会を大切にして、これ以上ない思いやりにあふれた「JC MIND」で、卒業生をおくりだしてほしい。 | ||||
唐突だが、宗教とは究極のドグマ(独断)である。裏をかえせば、ドグマでなければ、ひとを導く教義などといったものはとうてい成立しないのではないか。このコラム「中津JCのかたち」は、宗教のように高尚ではないし、精密に体系化されているわけでもないが、JCにおける私のドグマであるといえるかもしれない。しかし、無用なプロパガンダやマインド・コントロールを意図して書いてきたわけではない。私の15年間にわたるJCライフのなかで、学んだり感じたりしたことを理事長の立場で発信しようと思っただけである。 もちろん、JC運動はドグマであっていけない。アメリカ合衆国で誕生したJCは、はじめてのアメリカ独自の哲学「プラグマティズム」の精神を、つねに片手に握りしめて運動展開すべきだと思う。19〜20世紀にかけてのアメリカの奇跡的な発展は、このプラグマティズム思想の賜だと思うし、現在の世界の政治や経済の基本的な思考法は、この哲学に則していると思う。 プラグマティズムについて、少しふれたい。日本語で「実利主義」「現実主義」「実用主義」などと訳されているこの哲学は、19世紀アメリカの哲学者C・S・パース、ウィリアム・ジェームズなどによって唱えられた。ある命題がただしいかどうかは、その命題が実際に役にたつかどうかにかかっていて、思考の目的は行為をみちびくことにあり、観念の重要さはその結果によるという考え方で、プラグマティズムは、実際に役にたたないような考えを否定し、真理はそれをもとめる時や場所や目的によってきまると主張した。本来、形而上的な学問であった哲学に、実質的結果を求める科学的な形而下思想を導入したといえる。 JCの基本理念は、崇高な形而上の理想(ドグマ)によって編みあげられている。しかし、理事長所信はそうであってはならず、プラグマティックなアティテュードがなければならない。事業計画にいたっては、さらに具体的な手法とそれによる効果が明記されてなければならない。にもかかわらず、事業計画の一つひとつのディテールには、青年(JC)独自の理想(ドグマ)がしっかりと背景になければ、いい事業として成立することはできない。つまり、JC運動とはドグマとプラグマティズムのあいだを振り子のように行き来するものなのである。私がこのコラムを書こうと思いたったのは、中津JCの将来に危機感をおぼえたからではない。繰りかえしになるが、その理由は、私たちが所属する中津JCが、いかにすばらしいLOMであるか、また、その中津JCに所属している私たちJayceeには、50年間の輝かしい歴史と伝統を有するかわりに、いかに大きな責任を負っているかを、「中津JCのかたち」を紐解くことによって、少しでも伝えたいという気持ちからである。1年間の最後のまとめとしてはいささか簡潔すぎるきらいもあるが、JCにおけるドグマとプラグマティズムのバランス感覚が抜群であることが、中津JCのすばらしさの根元であると私は思っている。 | ||||